
アルバイト先の写真スタジオにやってきた彼女。
彼女は淡々と写真を撮って帰っていく。
清楚な外見…
上品な語り口…
日によって変わる撮影衣装…
どんな目的を持って写真の撮影に来ているのか見当もつかない。
撮影した写真を何に使っているのか見当もつかない。
そんな彼女に、僕は少なからず興味を持つ。
少し興味があるだけだ。
別に恋愛感情がある訳じゃない。
そう自分に言い聞かせていたのかもしれない。
しかし、そんな清楚で上品な彼女が、当時何をしていたのか…。
彼女があんな”裏の顔”を持っているとは、当時の僕は知る由もなかった。
【プロローグ】 -3度目の剥奪-

地下室特有の静寂の中で、彼女がはいているハイヒールの音が響き渡る。
秋の到来により、ずいぶんと過ごしやすくなったな…と、
僕はその日のお昼に、確かに感じたはずだった。
なのに、今僕を取り囲んでいる空気は、おびただしい量の熱を帯びているような気がする。
日が沈んで数時間は経っているというのにおかしな話だ。
いや、僕の周りが熱いんじゃない。
僕自身が熱いのだ。
まるで沈んだ太陽がそのまま僕のもとに降りてきて心臓と同化し、その熱が血管を通じて全身に送られているような感覚だ。
もちろん、僕の体はその熱にいつまでも耐えられるわけではない。
血流を加速させ、理性を溶かし、僕の呼吸を乱す。
ただそれは、僕のそれほど長くないこれまでの人生の中で、
最も情熱的で濃厚な時間にも感じてしまう。
そんな僕の様子を見て、彼女は一度立ち止まり、「ふふふ」といつもの微笑みを浮かべた。
僕という存在を完璧に掌握したことに満足するような笑いだ。
もちろん、その微笑みが僕に届いていることも把握している。
そして彼女は再び、ゆっくりと歩き始めるのだ。

コツコツというハイヒールの音が徐々に大きくなり、彼女が近づいていることが分かると、
僕の胸の高鳴りは激しさを増した。
もしも、今僕の目の前で起こっていることを普通の人に見られたらどうなってしまうのだろう、
と僕は思った。
普通の人…。
それは、その辺の街をブラブラと歩いている人達のことだ。
腕を組んで歩いている恋人たちや、家路を急ぐスーツ姿のサラリーマンや、ギターケースを片手にレコーディングに向かうバンドマンのことだ。
恋人を探し、出会い、恋仲になり、セックスをする人たちのことだ。
なぜ、そんなことを気にするのかと、普通の人たちは疑問に思うだろう。
しかし、僕にとって、それを気にするのは当然のことだ。
何しろ僕は鎖で手足を拘束され、正座した状態で待たされているのだから。
顔に巻かれた黒い布が視界を妨げ、彼女の姿を直接確認することはできない。
そうやって彼女はいつも、僕の中にある物寂しさを増幅させ焦らすのだ。
彼女の動きに連動して、周囲の空気の移ろいを感じる。
彼女の使っているシャンプーの香りが、香水の香りが、彼女自身の香りが、うねるようにやってきて僕の臭覚を激しく刺激する。
「ふふ、なぁ~に犬みたいに鼻をクンクンさせてるの?」
彼女は僕の一挙手一投足を把握する。そして、それをネタにして僕を蔑む。
しかし、そんなことは彼女にとっては単なるお遊びに過ぎない。
「もしかして、私の犬になりたいのかなぁ」と言いながら、彼女は僕の目の前に立ち、右手で軽く僕の髪の毛を掴む。
視界を奪われた状態でも、彼女の指が細くしなやかであることを感じ取ることは簡単だった。
もちろん、彼女が僕を犬として扱うなんてことはあり得ない。
そんなことは分かりきったことだ。
これから行われることが、そんな甘っちょろいものでないことは、僕と彼女の両方が、当たり前のこととして共有している事実なのだ。
正座した状態の僕の前に何があるのか…。
視界を奪われた状態でも、それは分かりきったことだった。
過去の記憶が脳裏に蘇る。そしてそれは僕の身体を震わせる。それは僕にとって、恐怖であり、悦びでもあるあの震えだった。
僕が身体を震わせているのを確認して、彼女は再び「ふふふ」と笑った。
そして、僕の髪の毛を掴んだまま、自分の方へと手繰り寄せた。僕の身体は雷に打たれたようにビクンと反応する。
そしてその後、僕は呼吸困難に陥ったかのように、どんどん息が乱れ始める。
まるで海外のテレビドラマに登場する、顔に被せられた布に水をかけられ拷問されるスパイのように。
ただし、僕の前にあったのは布ではなく、ストッキングに包まれた彼女のなまめかしい太ももだ。
「あぁん、もう、ジタバタしないのぉ。大人しくしないと、私の感触を味わえないでしょう? ふふ、もう、ホントに変態なんだからぁ。」
それは僕にとって、何度体験しても強すぎる刺激だった。
彼女はそのストッキングをいつからはいているのだろうか…。
何時間前にはかれたストッキングなのだろうか。
もしかして昨日?
おととい?
そんなことばかりが、僕の頭に浮かんでくる。
意識を他に向けようとする努力は、そこでは全く意味をなさない。
彼女のはいているストッキングは、彼女のナマ脚から放出されるフェロモンを、繊維の隅々にまで浸透させているように感じた。
そのフェロモンは、僕の鼻から侵入し、そのまま脳みそを溶かしてしまうほどに危険なモノだ。
言うまでもなく、僕のペニスはギンギンに勃起していた。
今にも射精してしまいそうなほどに…。
「さぁて、今日はどんなストッキングをはいてるのか…分かるかなぁ?
ふふ、ガーターストッキングっていうのは分かるよねぇ。
色は…、君の大好きな黒だよ?
しかも極薄のね。」と彼女は言った。

僕は彼女の言葉を聞き、興奮と同時に冷や汗が背中を伝うような感覚に襲われる。
これまでに何回か経験した危険な感覚だ。
おいおい、いくら美人だからって、太ももに顔をうずめただけで何でそんなことになるんだ、大げさ過ぎやしないか…と、普通の人は疑問に思うかもしれない。
いや、十中八九思うだろう。
でもそれは仕方のないことであり、自然なことであり、僕にとって避けられないことだった。
僕は、彼女の脚にどうしようもなく興奮してしまう。
それは、この場所にきてから様々な検証が繰り返し行われ、彼女によって導き出された事実だった。
ナマ脚、ストッキング、網タイツ、ミュールやパンプス・ブーツ…。
僕を興奮させる要素は以外に多かった。
ただ、その詳細は彼女だけが把握している。
僕は彼女のすべてが好きだ。
サラサラした艶のある髪の毛。
ふとした時に見せる笑顔。
無駄な贅肉を削ぎ落とし、必要な筋肉だけをまとったカラダ守ってあげたいと思わせる華奢な体。
上品な仕草だけを厳選し、実行に移す細くてしなやかな指。
数え上げたらキがない。
しかし、彼女にその綺麗な脚を見せつけられると、僕は無条件に抗うことができなくなる。
理性を溶かされ腑抜けにされるのだ。
そのせいで僕は、実際に何度か、自分の中の大切なものを失った。
「ふふ、今わたしがはいてるストッキングは0デニール。
君がいちばん興奮するストッキングだねぇ?
ふふ、君がいちばん興奮する格好をしてるってことは…分かるよね?」
彼女の言葉を聞いて僕は思った。僕は今日もまた大切な何かを失ってしまうのかもしれない。
いや、失ってしまうのだろう。
彼女によって、いとも簡単にあっけなく、僕はその大切な何かを奪われるのだ。
それが何であるのかは、まだ知らされていない。
しかし、底しれぬ恐怖と共に、僕の心の中には、狂気と言っても過言ではない歪んだ快楽が湧き出してしまっているのだ。
3度目の剥奪が始まろうとしている。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
あの時なら引き返せたはずなのに…と僕は思った。
しかし、そんな後悔の気持ちは、ストッキングから放出される彼女のフェロモンによって、次々とかき消されてしまう。
そして僕はこう思うようになる。
もうどうなってもいいや、と。
しかしそれは、明らかに理性と冷静さを失った覚悟であり、客観的に見れば、僕がした後悔のほんの一部に過ぎなかったのかもしれない。
【1】 -日常-

大学の授業が終わってから校舎を出ると、桜の花がちらほらと咲き始めている事に気がついた。
大きく息を吸い込むと、甘くて生ぬるい、この季節特有の空気が体の中に入って来る。
桜の香りが混ざったとても心地よい空気だ。
ここ数年、春を感じる期間が短くなっている。
寒い冬がようやく終わり、暖かくなったと思ったらすぐに夏だ。
この穏やかな気候を堪能できるのは今だけだ。
そんなことに思いを巡らせながら、裏道を通って都営新宿線の神保町駅を目指す。
今日はバイトの日だ。
キャバクラの女性キャストの撮影が2件と個人撮影が1件。
そして今日もまたあの名物社長とご対面というわけだ。
『ん~…、今日も遅くなりそうだ。帰りはタクシーだな』
そんなことを思いつつ、僕は多少のダルさを感じながら足早に駅へと向かった。
仕事は何事も準備が大切なのだ。
そして、早めに準備をしておいて損をする事はない。
何より、綺麗な女性を見るのは好きだ。スタジオに到着すれば、このダルさも自然と消えてくれることだろう。
地方の田舎から上京し、今のアルバイトを始めたのは2年程前のことだった。
スタジオ『ブ・ルドッグ』。
カメラマンのアシスタントの仕事だ。
大学の専攻は経営学部なのに、そんなアルバイトをしているものだから、同級生からはユニークだね、と言われたものだ。
もちろん、スタジオの名前を言ったことはない。
「どうして『ブルドッグ』じゃなくて『ブ・ルドッグ』なの?」とツッコまれることは明々白々だからだ。
僕自身、その答えを社長に聞いたことはない。
社長もスタジオにかかってくる電話には「はい、スタジオブルドッグでぇ~す」と対応する。
働き始めた頃に、社長が電話対応しているのを見るだけで、僕は笑いをこらえるのに、かなりの努力を必要とした。
とは言え、スタジオに電話がかかってくることはほとんどないし、僕が働き始めて2、3ヶ月すると、電話に対応するのは僕の仕事になった。
もちろん「スタジオ『ブ・ルドッグ』です」と言ったことは一度もないし、そのことを社長に指摘されたこともない。
名前とは一体何なのか…、僕は少し不思議な気持ちになった。
そんな写真スタジオで、なぜ働き始めたのか…。
実際のところ僕にもよく分からない。
シフトの融通が利くことと、時給がそこそこ良かったことを魅力的だと思った記憶は残っている。
そして、実際に働き始めてると、何とも表現しがたい居心地の良さを感じたのも確かだ。
カメラマンのアシスタントと言っても、専門的な知識を急いで覚える必要はなかったし、拘束時間も短かった。
実際には、撮影した写真や動画の整理や簡単な編集をすることが主な仕事だったからだ。
ただ、今になって思えば、僕という人間の内側に、興味を持つ何かが隠れていたのかもしれない。
何しろ僕は、そこで彼女と出会うことになったのだから。
※
電車を降りてから、歌舞伎町の人混みをかき分けスタジオに到着すると、社長がコーヒーを脇に置いて、ゴツゴツした指でパソコンのキーボードを叩いているのが見えた。
背はそれほど高くない。
俗に言う中年太りという表現の似合うオジさんだ。
お腹が出ていて小太りな体型。
しかし、口元に蓄えられたヒゲはしっかりと手入れをされている。
「おぅ、お前さん。今日は随分と早ぇじゃねぇか。」と社長は言った。
「いやいや、いつもこのくらいの時間には来てますよ。後は僕がやりますんで…。」
「ほんじゃぁ、お願いするとしようかねぇ。」
社長が発する言葉を分類するのなら、乱暴でガサツな部類に入るのかもしれない。
だが、その喋り方と声には独特の穏やかさがあって、それほど下品に聞こえない。
僕にはそれが不思議でしょうがなかった。
昔はどこかの大手プロダクションだかに所属し、カメラマンとして一目置かれる存在だったらしい。
本人曰く、今は〝しがない写真スタジオの社長〟とのことだが、特に会社を大きくするつもりはないようだった。
所謂フリーランスの個人事業主ということになるのだが、僕に自分のことを社長と呼ばせているのには、何かのこだわりがあるのかないのか…。
そのことについて直接聞いたことはない。
ただ、自由に、自分のペースで仕事をする社長の姿に僕は好感を持っていた。
彼の元で働いていると、敷かれたレールにただ乗ってきたような僕の人生が、少しだけ自由になっているような気がしたのだ。
新宿の歌舞伎町で、水商売をしている人間を顧客にし、カメラマンとして生活していく…。
これを成功というのかどうかは分からないが、それが簡単にできることではないということは、素人の僕にも明らかだった。
簡単にやっているように見えるのは、社長が〝それまでの人生で培ってきた何らかのスキル〟を持っているからなのだろう。
実際に、歌舞伎町で働く水商売関係者の要求は高い。
写真の出来は、その人の売上に大きく影響するからだ。
そんな猛者たちを相手に、僕は社長がクレームを受けたのを見た事がなかった
「おっと、もうちょいっと急いでくれよぉ? 今日も可愛いねーちゃんがいっぱ
い来るんだからなぁ」
「了解っス。と言っても、もうほぼ準備完了ですけど…。」
【2】 -表の顔-

証明に照らされたスタジオと、そこに鳴り響くカメラのシャッター音。
露出の高いゴージャスな衣装を着た女性がカメラのレンズを見つめている。
着飾った女性は好きだ。
それは裸の女性よりも…。
僕は撮影の度にそう思う。
彼女らは見た目を気にする。
ストイックにしたたかに、自分を綺麗に見せる為にありとあらゆる努力をしているのだ。
もちろん、スタジオにはホストクラブで働く男性も来る。
被写体が男性だからという理由で手を抜いたりする事はない。
ただ、単純な興味として、男性の大部分がそうであるように、綺麗な女性に気を惹かれるという話だ。
まぁ、僕が手を抜いたところで写真の出来に大きく影響することはないのだが…。
いくつものポーズをとり、社長がその瞬間をレンズに捉える。撮影を終えた女性達は、スタジオの机に置かれたディスプレイの前で、撮影された自分の写真と睨めっこしている。
何百枚もの写真の中から、自分を一番よく見せる究極の一枚を探すのだ。
デジタル化が進んだ昨今、写真データは店舗のスタッフが持って帰ったり、指定されたメールアドレスに送ったりする訳だが、彼女ら(場合によっては彼ら)は、自分の写真の出来栄えを一刻も早く確認したいというわけだ。
もちろん、写真の出来をネタに騒ぐのも好きなのだろう。
撮影を終えた女性キャストが増えてくると、パソコンの前に座った僕は女性に囲まれることになる。
着飾った女性は好きだが、その賑やかさが好きかと言われると答えは否だ。
そう、本来僕は、歌舞伎町のような華やかな街で働くような人間ではないのだ。
まぁでもいいじゃないか…、別にこのにぎやかな街で主役になりたいと思っているわけじゃないんだから…。
そうこうしている内に、撮影は嵐のように過ぎ去り、スタジオは1時間もすれば物静かな元の姿を取り戻す。
パソコンのキーボードを叩く音が聞こえる程の静かな空間に戻る。
そんな静けさを取り戻したスタジオに呼応するのかのように、スっと現れるのが彼女だった。
「あっ…いつもすみません。今日もよろしくお願いしますぅ」
彼女が初めて来たのは一ヶ月ほど前の事だった。
名前は加賀美玲奈(かがみれいな)。
社長の人づてに仕事の依頼があったとかで、その詳細は僕には明かされていなかった。
他の顧客と同じ様に、プロフィール写真のようなものを撮影して終わり。
とても静かな撮影だ。
そして、撮影した写真を何に使うのか、その用途も不明だった。
もちろん、使用用途を知る事は僕の仕事ではないし、むしろ余計な詮索はご法度というものだ。
しかしそれでも、僕には気になる事がいくつかあり、彼女の存在が気になっていた。
1つ目は、彼女が週に2~3回と、結構な頻度でスタジオを訪れていること。
ただ写真を撮ると言っても、スタジオを使うとなれば決して安くはない。
スマートフォンで簡単に撮影できるこのご時世に、彼女はなぜ、スタジオに足を運ぶのだろうか。
2つ目は彼女の服装だ。
撮影に来るのだから、毎回違う服を着てくることは不自然なことではない。
しかし、彼女の服装には一貫性がまるでなかった。
ある時は、大手企業の役員秘書をしているかのような上品なスーツ姿。
またある時は、晩餐会に出席するセレブを思わせるような露出の高いゴージャスなドレス姿。
そうかと思えば白いシャツにデニム姿というラフな服装の日もあった。
そして彼女は、それぞれの服装を見事なまでに着こなしていた。
何の目的で撮影に来ているのか…。
その謎は、僕の中での彼女のイメージを〝ミステリアスな女性〟へと変貌させ、僕の好奇心を刺激した。
3つ目はとてもシンプルで、彼女が美人であるという理由だ。
仕事柄、容姿が魅力的な女性を見る機会には恵まれていた。
ホストクラブやキャバクラのキャストが見た目だけで売れる訳ではないという話はよく耳にする。
しかしそれでも、〝見た目がイマイチ〟な人間を見る機会は少なかった。
恐らく見た目は最低条件で、そこからどうやって客の心を掴むかという勝負なのだろう。
業界内の事情に精通していた訳でもないし、詳しく知りたいと思っていた訳でもないが、僕は勝手にそんな解釈をしていた。
重要なのは、そんな歌舞伎町の猛者達と比較しても、彼女の美貌は突出していたということだ。彼女のどこに魅力を感じるのか、僕にはよく分からなかった。正確には、他の美人との違いが分からなかった。
少し茶色を帯びたサラサラの髪の毛に色白の肌。
全体のスタイルは、スラっとした印象だが、ただ細いというわけでもない。
全身が適度な筋肉で覆われている印象だ。
細くしなやかな指は、女性らしさを感じさせ、その先端にはいつも上品なネイルが施されていた。
街ですれ違ったら、僕を含めたほとんどの男が振り返るだろう。
しかし、それは他の美人でも同じだ。
胸が特別大きい訳でもない。
スタイルは抜群で小顔である事は確かだが、テレビで紹介されるようなモデルのように、何頭身なのか確認したくなる訳でもなかった。
単純にどんな仕事をしているのか分からないから興味を持ってしまうのだろうか。
それがミステリアスな雰囲気となって僕の好奇心を刺激しているのだろうか…。
色々な可能性を考えてみたが、どれもしっくりこなかった。
そんなことを思っている内に、スタジオに社長の声が響く。
「ほんじゃっ、始めましょーか」
その日、彼女はスリットの入った膝丈ほどの長さの黒いスカートに、シンプルな白いブラウスを合わせ、ベージュのストッキングにハイヒールを履いていた。

露出は少ない方だったが、彼女の体のラインがくっきりと分かる、エロティシズムを感じさせる雰囲気を醸し出す服装だった。
彼女の撮影に時間がかからない。
これで撮影料金をもらってもいいものか、と思うほど短い。
そしてクレームは受けた事もない。
仕事としては、手間のかからない簡単なものに思えた。
僕としては、とても充実した時間を過ごすことができるので、もっと時間を引き伸ばしてほしいと思うほどだったのだが…。
「あっ、今日はもう少し、下からのアングルで撮ってもらっていいですか?」
と彼女は言った。
「はいよっと」と社長は答える。
珍しく彼女の方から要望が入り、僕は少し驚いた。
彼女はスカートを少しだけめくり、スリットから脚が見える角度に調整している。
ストッキングに包まれた彼女の太ももは、無駄な脂肪がなく引き締まっており、とても魅力的だった。
本当に何をやっている人なんだろう…と、僕は思った。
「ありがとうございました。写真のデータはいつものアドレスに送信しておいて頂けますか?」
撮影が終わると、彼女はそう言い残し、足早にスタジオを後にする。
彼女のいなくなった〝もぬけの殻〟のスタジオで、僕はいつも物寂しさを感じてることになった。
※
夜の仕事ということが影響して、片付けが終わる頃には終電ギリギリになるケースがほとんどだ。
顧客の撮影が終電時間を大幅に過ぎない限り、移動は基本的に電車だ。
タクシーを使う事は許されない。
僕が住んでいる渋谷区の笹塚は、新宿からそれほど離れている訳では無かった。
ただ、近所というほど近くもないので、深夜にタクシーを使うとなると、学生の僕にとってはそれなりの負担になる。
社長に相談はしたことはなかったが、このタクシー使用問題は、僕がバイトを続ける中での数少ないストレスの1つだった。片付けやデータの整理・送信なんて誰にでもできるし、誰がやっても写真の品質そのものが変わる訳ではない。
とは言うものの、ミスをしてしまうと〝写真〟という商品そのものが顧客の元に届かなくなる。
終電の時間に追われながら急いで仕事を進めるのは、僕にとって愉快なことではなかったのだ。
急げば終電に間に合う。でも、そんなに焦って仕事はしたくない。このような環境は健全ではない。
そんなわけで、アルバイトを始めて1年ほど経った時、僕は電車で帰ることを、割と簡単に諦めるようになっていた。
タクシー代の全額を自腹で払うのは経済的に厳しいので、散歩がてらに少し歩いて途中からタクシーを使うことが多くなった。
最初は大変だと思っていたが、慣れてくると、これがなかなか気持ちいい。
深夜を過ぎてもにぎやかな歌舞伎町の喧騒を抜けると、西新宿の巨大ビル群が姿を現す。
昼間はスーツを着たサラリーマンでごった返すこの付近も、深夜になると人通りがまばらで、のんびり歩くと爽快な気持ちになるのだ。
コンクリートジャングルと呼ばれる東京の都心部だが、余裕があるときにゆっくり歩いてみると意外と緑が多いことに気づく。
甲州街道に出てから初台付近まで歩いてタクシーを拾う。
そうすればタクシー代をかなり節約することができる。
もちろん、彼女が訪れた日は最初から電車で帰るつもりなんてない。
データを送信する前に、彼女の写真を確認するのは楽しかったし、歩いて帰るのも苦ではなかった。
そうやってその日も僕は、物静かな都会の散歩を楽しんで帰った。
【3】 -接近の予兆-

翌日のお昼頃、ポケットに入れていたスマートフォンが震え始めた。大学に向かおうと、ちょうど駅を出た所だった。
「お前さん、昨日のデータ…ちゃんと送ったかぁ?」
電話に出ると、社長の〝乱暴でガサツだけど穏やかで下品ではない〟声が聞こえてくる。
バイトが休みの日に社長から電話がかかってくるのは良い兆候ではない。
僕のミスか、あるいはシフトの相談といったところだ。
今回は、前者であるようだ。
「はい。送りましたよ? 前回の送り先を流用しているので、送り先を間違ってる事はないと思うんスけど…。送信済みであることも確認しましたし…。」
「それが、確認できないって言ってんだよぉ。昨日の…、加賀美ってお嬢ちゃん、いただろ?」
「あぁ、はい。データを開けないとか、壊れてるって訳じゃなくて、メールそのものが届いてないってことですか?」
「先方さんはそう言ってるなぁ。もしかしたら、契約している会社のサーバーに問題があるかも…とも言ってるんだが…。ところでお前さん、今日ヒマ?」
僕は、そらきた…と思いながら「時間にもよりますけど…」と濁した回答をした。
「あのお嬢ちゃん、何やら急いでるらしくて、可能なら届けて欲しいなんて言ってんだよぉ。もちろん、もう一回送信してもいいんだが、届けることができればそれがいちばん確実だからなぁ。そんなに遠くはないし、時給は払うから届けてもらえるかぁ?」と社長は言った。
「えっと…、午後から大学の授業が2コマあるので、その後なら大丈夫ですけど、別にこちらに責任がある訳じゃないし、怒られたりしないですよね?」
「まぁ文句を言われることはねーだろーなぁ。お前さんはきっちり仕事をしてるわけだし、ウチとしては問題なしだ。何でもサーバーの事が分かるシステム担当が不在らしくて、お嬢ちゃんも原因が分からないって口ぶりだったし…。
あぁ、あと時間は逆に19時以降でお願いしたいってことなんだが大丈夫そうかぁ?」
「あっ、それなら僕も助かります。大学が終わってからスタジオに行ってデータを持っていっても間に合うと思うので…。詳しい届け先とか、教えてもらえますか?」
「おぉ、助かるよぉ。後でメールしとくから。おっ、あと必要ならタクシーも使っていいからな?」
「この時間だと、道路は渋滞してると思うので電車を使いますよ。何かあれば僕からも連絡しますので…。」
全く持って調子がいい。
こういう時だけは、タクシーの使用許可が簡単に降りるのだ。
草が生えるとはまさにこのことだ。
しかし、憎めない調子の良さなので不快感を感じない。
社長の人柄には、一種の愛嬌みたいなものがあるのだ。
社長の無茶ブリは今までにも何回かあった。
それに応えてきた僕はお人好しなのかもしれない。
ただ、結果的にそれで良かったのだ。
なぜなら僕は、彼女に会う機会を得ることができたのだから。
ただその時、彼女がどこで何をしていたのかを僕が知るのは、随分と先のことになるのだが…。
【4】 -裏の顔-

彼女の裏の顔を知るのは、まだ先の話しになる。
当時の僕が、その裏の顔を知っていたらどういう反応をしていたのだろう。
彼女に対して、どのような接し方をしていたのだろう。
今となっては分からない。
ただ、気付いた時には遅かった。
しかし、それは明らかに僕の人生を根本から覆すほど、刺激的で淫靡なものだったことは間違いない…そう言えるのだと思う。
その裏の顔は、音声でしかわからない
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